若い頃の私たちは、セックスや恋愛、自分の身体について、今よりずっと気軽に話していた。

悩みを打ち明けたり、誰かの話を聞いたり。分からないことや不安なことを、誰かと一緒に考える機会も多かったように思う。

けれど、年齢を重ねるにつれて、そうした会話は少しずつ私たちの間から姿を消していった。

大人になったから?

母になったから?

パートナーとの生活が長くなったから?

それとも、更年期や閉経が近づいているから?

人生の段階が変わるたびに、私たちは少しずつ「女」を捨てていかなければならないのだろうか。

そんなことを、ふと考えるようになった。

私はまだ閉経を迎えていないし、はっきりと分かる更年期の症状も、今のところ感じていない。

それでも、この先、自分の身体や性への気持ちがどう変わっていくのか、不安になることがある。

私には、まだ性欲がある。

でも一時期、気持ちはあるのに、身体がついてこないように感じていた。

感じにくい。潤わない。

このまま、私の中にある性は静かに終わっていくのだろうか。

そんな怖さがあった。

同年代の人たちから、時々こんな言葉を聞く。

「もうセックスなんてしたくない」

「性欲なんてなくなった」

もちろん、それもおかしなことではない。その人にとっての、自然な変化なのだと思う。

でも、私は違った。

性欲はある。

快感への好奇心だって失っていない。

それなのに、誰かに身体を触れられたいわけではない。

激しく求め合いたいわけでもない。

性欲はあるのに、人との行為は望まない。

一見矛盾しているようなこの気持ちを、どこで、誰に話せばいいのか分からなかった。

若い頃の私は、今より性に対して自由だった。

肌が触れ合う安心感だけを求めることもあった。

けれど、セックスの中で自分の身体をうまく感じられないことも多かった。

気持ちよさは分かる。

触れ合う安心も分かる。

それでも、自分の身体については、知らないことの方が多かったのだ。

そんな不安を抱えていた頃、安心して自分の内側を話せる相手ができた。

言葉を重ね、自分でも隠していた欲求や寂しさを少しずつ外に出していくうちに、心が安心できることと、身体の感覚はつながっているのかもしれないと思うようになった。

その経験については、これからこの場所で、少しずつ書いていきたい。

若い頃と同じ自分に戻ったわけではない。

人に触れられたくない気持ち。

快感を求める好奇心。

心から好きな相手とは、深くつながりたいという願い。

一見矛盾しているような気持ちが、今の私の中には一緒にある。

でも、どれかひとつを否定しなくてもいいのかもしれない。

年齢を重ねたからといって、性を捨てる必要はない。

若い頃と同じ形でなくても、母になっても、夫婦の関係が変わっても、閉経を迎えても、その人自身の性や好奇心がなくなるとは限らない。

失ってもいい。

残っていてもいい。

形を変えたっていい。

大切なのは、周りの「普通」に合わせて、自分の本当の気持ちまで「なかったこと」にしないことなのだと思う。

これから訪れる身体の変化を、私はまだ知らない。

だからこそ、変わっていく自分を見つめながら、性や身体、親密さについて考えていきたい。

誰にも相談できずに、「私だけがおかしいのかな」と感じている大人の女性が、静かに自分の心と身体について考えられる場所を作りたい。

隠さなくていい。

でも、見せ物にしなくていい。

これは、そのために書く最初の文章です。